03.30
Sun
先週、ヨガのM先生から、キンカンのシロップ漬をいただきました。シナモンがブレンドしてあってとても良い香り、種までた食べられる程やわらかく、5個くらい直ぐに食べちゃいました。金柑の皮には、ビタミンP(ヘスペリジン)が多く含まれています。あまりきかないビタミンですが、毛細血管の強化、血中中性脂肪の分解、血圧上昇制御、等優れた効果が期待できます。また、 ビタミンCを安定化する働きがあります。ふつうビタミンCは非常に壊れやすくなかなか力を発揮できません。ヘスペリジンが、不安定なビタミンCを安定させることにより、威力がアップしたビタミンCが強敵活性酸素をみごと撃退したり、血圧が一定に保たれるなどビタミンCの多様なはたらきを補強します。美味しい金柑シロップ漬、ありがとうございました☆




03.28
Fri
今日は、お仕事で銚子のI 鉄工さんにおじゃましました。産業機械、プラントの機械加工の老舗で、現社長のMさんが、7代目という「ものづくり日本」を代表する会社です。社長とは「薪割り達人仲間」でもあります。先日の土曜日、携帯に電話すると「今どこにいると思う・・・・長野に、りんごの薪をもらいに2トン車で来ているだよ☆」とのこと。私も楢の薪を調達に2トン車で蔵王まで日帰りで行ったことがありますが、銚子から長野まで400Kmの道のりをトラックに乗って出かけていくMさんも、そうとう好きものだな~☆ その上、調達した薪を割るための「油圧式薪割機」を手作りでこしらえてしまったそうです。20トンの油圧シリンダーがついていて、そうとう堅く太い薪でもガンガン薪になっちいます☆りんごの木は、堅い木ですが、火持ちが良く焚いている時、ほのかに、りんごの香りがして癒し効果抜群です。工場の片隅にその薪割機が置いてあり、さらにその横には、この薪割機を使って割った、りんごの薪がありました。私は、手斧での薪割りが好きですが、時々硬い節目の部分や、割りにくい木に出会った時など、この油圧式薪割機がほしくなるのです☆




03.27
Thu
03.26
Wed
03.25
Tue
03.24
Mon
今日は、 旧朋友のKさんより、銀座空也の生菓子をいただきました。創業120年の老舗の味は、格別です。私は、和菓子が大好きで、特に小豆にこだわります。金沢や、京都の老舗の和菓子も美味しいですよね。最近は、宅配便やネットによる注文で、遠方の老舗の味を手軽に味わうことができる様になりましたが、気を付けないと有り難味を忘れてしまいます。銀座空也の和菓子は、もちろん手作りで、その日に売れる数しか作らないそうです。そして、便利なこの時勢に、発送、配達はしない、その上、何週間か、月前からの予約でなければ、手に入らないとくれば、口にするのがもったいない☆上品な小豆の味はなんとも言えず有り難味がわかりました☆美味しかったで~す。追伸・・・現在ジュティーと共にウェートマネージメントひらたく言えば、ダイエット中ですが、3個いただきました☆心のこもった贈り物、ありがとうございました。

![0337_s[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080324215629.jpg)

![0337_s[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080324215629.jpg)
03.23
Sun
03.22
Sat
03.19
Wed
母校の新造船、望星丸三世です。新しい船に乗船できる学生諸君が羨ましいな~☆この船は、1992年三保造船で建造されたものです。私の会社では、船舶部品の製造もおこなっているので、当時、三保造船に営業に行きました。「各パーツは外部発注なので・・・」と、かわせれてしまったのですが、船の仕事がしたくて、日本海事協会、ロイドレジスターオブシッピングの承認工場となれた事は大きな成果でした。私が学生のとき、海洋実習でお世話になったのは望星丸一世と二世です。昼の海洋実習を終えて、食事がすむと夜は食堂兼講義室で、海洋学の講義がありました。ふとドアの隅に目をやると、小さな穴から、ねずみ君がチョロチョロトお散歩です。望星丸一世は、水産庁の払下でかなりレトロな船でしたが、友人に言わせると、ねずみがいる船は沈まないそうです。なぜなら、小動物には、危険を察知する予知能力があるとのこと・・・すごいな~☆
現、 望星丸は現在航海中で、3月19日から21日までポンペイ島に寄港しています。ポンペイはミクロネシアのカロリン諸島で最大の島で、島の南東部にはミクロネシア最大のナン・マトール遺跡があります。遺跡はポンペイの古代文明シャーウテール王朝の時に築かれたとされ、「玄武岩によって築かれた石壁の石材は、どのようにして運ばれたのか?」という謎を秘めています。
あ~また船で旅がしたいな~☆
![fune1[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080320225756.jpg)

![ponpei_3[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080320220618.jpg)
現、 望星丸は現在航海中で、3月19日から21日までポンペイ島に寄港しています。ポンペイはミクロネシアのカロリン諸島で最大の島で、島の南東部にはミクロネシア最大のナン・マトール遺跡があります。遺跡はポンペイの古代文明シャーウテール王朝の時に築かれたとされ、「玄武岩によって築かれた石壁の石材は、どのようにして運ばれたのか?」という謎を秘めています。
あ~また船で旅がしたいな~☆
![fune1[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080320225756.jpg)

![ponpei_3[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/h/i/t/hitoe1/20080320220618.jpg)
03.18
Tue
Kiitos君から、バケツリレーがやってきました☆
Q1:犬を飼うきっかけは?
盲導犬パピーウォーカーのボランティアをした時、ジュティーが家にやってきました。生後2ヶ月の時です。ゴールデンレトリバーの盲導犬候補は珍しいのですが、「盲導犬クイール」という映画で話題になったクイールの育ての親である多和田さんの愛犬バーティーの子供がジュティーです。ジュティーは盲導犬の繁殖犬候補だったのですが、厳しい検査の結果、繁殖犬からリセットされ、我が家の次女となったのです。

Q2:ワンコの変な癖は?
腹ばいで寝るのが、小さい時からの癖、特にリラックスしている時です。また、私がヨガをしている時、一緒になってヨガをします。得意のポーズは「サバサーナ(死体のポーズ)」と言い、リラックスする時のポーズです。

Q3:名前の由来は?
盲導犬センターで、Jから始まる名前をつける事になっていたので、ギリシャ神話のジュピターからジュティーと名づけました。名づけ親は息子です。私は、ジュリアにしたかったのですが、ジュティーのお姉さんがジュリアとなりました。今は、盲導犬として活躍しています。
Q4:寝る時はどうしてる?(ベッドで一緒?別の部屋?一緒の部屋で別?)
普段は、自分のベッドで寝ますが、寂しい時は私の部屋にやって来て寝ています。月に1回は、さびしい日があるようです。
Q5:ワンコを連れて行けない(入れない場所)へ行くときは
お家でお留守番?それとも一緒に行って車でお留守番?
家で留守番しています。早く帰ると、バク睡している様で、寝ぼけまなこでお迎えに玄関にフラフラとやってきます。遅い帰りの時は、寂しかったのか、しっぽが飛んで行っちゃいそうに、おしりフリフリ、出迎えてくれます。
Q6:次にバトンを渡す人3人
1 ゴールデンレトリバーを愛してしまった人☆
2 片思いのワンちゃんを愛おしく思う人☆
3 「犬と私の10の約束」をみた人☆
宜しくお願いしま~す!!!
Q1:犬を飼うきっかけは?
盲導犬パピーウォーカーのボランティアをした時、ジュティーが家にやってきました。生後2ヶ月の時です。ゴールデンレトリバーの盲導犬候補は珍しいのですが、「盲導犬クイール」という映画で話題になったクイールの育ての親である多和田さんの愛犬バーティーの子供がジュティーです。ジュティーは盲導犬の繁殖犬候補だったのですが、厳しい検査の結果、繁殖犬からリセットされ、我が家の次女となったのです。

Q2:ワンコの変な癖は?
腹ばいで寝るのが、小さい時からの癖、特にリラックスしている時です。また、私がヨガをしている時、一緒になってヨガをします。得意のポーズは「サバサーナ(死体のポーズ)」と言い、リラックスする時のポーズです。

Q3:名前の由来は?
盲導犬センターで、Jから始まる名前をつける事になっていたので、ギリシャ神話のジュピターからジュティーと名づけました。名づけ親は息子です。私は、ジュリアにしたかったのですが、ジュティーのお姉さんがジュリアとなりました。今は、盲導犬として活躍しています。
Q4:寝る時はどうしてる?(ベッドで一緒?別の部屋?一緒の部屋で別?)
普段は、自分のベッドで寝ますが、寂しい時は私の部屋にやって来て寝ています。月に1回は、さびしい日があるようです。
Q5:ワンコを連れて行けない(入れない場所)へ行くときは
お家でお留守番?それとも一緒に行って車でお留守番?
家で留守番しています。早く帰ると、バク睡している様で、寝ぼけまなこでお迎えに玄関にフラフラとやってきます。遅い帰りの時は、寂しかったのか、しっぽが飛んで行っちゃいそうに、おしりフリフリ、出迎えてくれます。
Q6:次にバトンを渡す人3人
1 ゴールデンレトリバーを愛してしまった人☆
2 片思いのワンちゃんを愛おしく思う人☆
3 「犬と私の10の約束」をみた人☆
宜しくお願いしま~す!!!
03.17
Mon
03.16
Sun
☆ ウェートマネージメントだジュティー ☆
ジュティーの体重は何キロあるか量ろうと、まずジュティーを抱いた状態で体重計にのります。ギョ!!! 97Kg、次に私だけ・・・ギョギョ65Kg・・・ということで、97Kg - 65Kg = ジュティーの体重は32Kgでした。結論 ∴ hitoe 1(Juty) は、今日からウェートマネージメントを実行する事になりまた。ジュテーの体重は、私の半分ですので、私の目標値の半分で良い訳です。言い訳かな~☆ アグレッシブにサーフィンをするベストウエイトは5Kg、しぼりこんで 60Kg・・・いゃ~とりあえず、-3Kgの62Kgします。ということはジュティーは、-1.5Kgで、30.5Kgにトライだね☆ のんびり、ひなたぼっこも良いけど・・・ジョギングでもしますかね。ジュティーちゃん☆ あそうだ、目標設定には期限をきめないと・・・「4月1日」とします☆

ジュティーの体重は何キロあるか量ろうと、まずジュティーを抱いた状態で体重計にのります。ギョ!!! 97Kg、次に私だけ・・・ギョギョ65Kg・・・ということで、97Kg - 65Kg = ジュティーの体重は32Kgでした。結論 ∴ hitoe 1(Juty) は、今日からウェートマネージメントを実行する事になりまた。ジュテーの体重は、私の半分ですので、私の目標値の半分で良い訳です。言い訳かな~☆ アグレッシブにサーフィンをするベストウエイトは5Kg、しぼりこんで 60Kg・・・いゃ~とりあえず、-3Kgの62Kgします。ということはジュティーは、-1.5Kgで、30.5Kgにトライだね☆ のんびり、ひなたぼっこも良いけど・・・ジョギングでもしますかね。ジュティーちゃん☆ あそうだ、目標設定には期限をきめないと・・・「4月1日」とします☆

03.15
Sat
03.14
Fri
03.13
Thu
03.12
Wed
03.11
Tue
03.10
Mon
03.09
Sun
03.08
Sat
03.07
Fri
03.06
Thu
03.05
Wed
03.04
Tue
03.03
Mon
☆遠い昔の記憶 バリ島 ☆
20年以上前、はじめて訪れたバリ島は見るものすべてがとても新鮮でした。しかし、しゃく熱の太陽とバリ特有の民族楽器の音色は、なつかしい気がしました。肩まで茂る草むらに身を潜めていると、遠い昔に、遠い国から訪れ祖国に帰れないかも知れないそんな想いが込み上げ胸が締め付けられるほどのもの悲しい気持ちになったのです。なぜ、そんな気持ちに駆られたのか不思議なのですが、私の中でのイメージは、戦争でこの地を訪れているものでした。当時、南方の島々に配属された兵士は、船で長い時間かけてそれぞれの島にたどり着いたのだと思います。そこは、戦地で、灼熱の暑さとマラリア感染に身をさらされる危険な場所であり、「地上最後の楽園」などとは夢にも思わなかったことでしょう。後で調べてみると、昭和17年2月、バリ沖海戦があった場所である事がわかりました。その初めてのバリ島トリップは、最高の波でサーフィンもできたし、その後、5・6回はバリ島に行く程のバリ・バリ・バリマニアになってしまった程魅力的なものでした。しかし私は、なんとその最初のバリトリップで、マラリアに感染してしまったのです。マラリア熱は初期段階では24時間の内、12時間は正常、12時間は高熱で意識がもうろうとする状態を2日くらい繰り返します。なんかおかしいなと思ったのですが、感染したのが帰国2日前で、飛行機に乗って、家に着くまでの12時間は正常な状態でした。特に申告もしませんでしたが、姉から紹介された医者にいくと、「血液中に原虫が入って・・・」と教えてくれました。たまたまその病院に良い抗生物質があったので完治しましたが、日本に戻って、3日間は寝たっきり意識不明状態であっという間に過ぎてしまいその間記憶もあまりありません。これは、ナチュラル・ハイではありませんが、ハイであった事は確かです☆まるで夢の様な出来事でした。天国に一番近い島「バリ島」のなんとも不思議な体験です。


20年以上前、はじめて訪れたバリ島は見るものすべてがとても新鮮でした。しかし、しゃく熱の太陽とバリ特有の民族楽器の音色は、なつかしい気がしました。肩まで茂る草むらに身を潜めていると、遠い昔に、遠い国から訪れ祖国に帰れないかも知れないそんな想いが込み上げ胸が締め付けられるほどのもの悲しい気持ちになったのです。なぜ、そんな気持ちに駆られたのか不思議なのですが、私の中でのイメージは、戦争でこの地を訪れているものでした。当時、南方の島々に配属された兵士は、船で長い時間かけてそれぞれの島にたどり着いたのだと思います。そこは、戦地で、灼熱の暑さとマラリア感染に身をさらされる危険な場所であり、「地上最後の楽園」などとは夢にも思わなかったことでしょう。後で調べてみると、昭和17年2月、バリ沖海戦があった場所である事がわかりました。その初めてのバリ島トリップは、最高の波でサーフィンもできたし、その後、5・6回はバリ島に行く程のバリ・バリ・バリマニアになってしまった程魅力的なものでした。しかし私は、なんとその最初のバリトリップで、マラリアに感染してしまったのです。マラリア熱は初期段階では24時間の内、12時間は正常、12時間は高熱で意識がもうろうとする状態を2日くらい繰り返します。なんかおかしいなと思ったのですが、感染したのが帰国2日前で、飛行機に乗って、家に着くまでの12時間は正常な状態でした。特に申告もしませんでしたが、姉から紹介された医者にいくと、「血液中に原虫が入って・・・」と教えてくれました。たまたまその病院に良い抗生物質があったので完治しましたが、日本に戻って、3日間は寝たっきり意識不明状態であっという間に過ぎてしまいその間記憶もあまりありません。これは、ナチュラル・ハイではありませんが、ハイであった事は確かです☆まるで夢の様な出来事でした。天国に一番近い島「バリ島」のなんとも不思議な体験です。


03.02
Sun
03.01
Sat
島へのトリップは、中学1年の時、おやじが伊豆七島めぐりにの旅に連れて行ってくれたのが始まりでした。大島にたちより、新島、式根島、神津島へ行ったのですが、それ以来、島に行く事が大好きになりました。昔、有吉佐和子さんの「海流の中の島々」を読んで、クルーザーにサーフボードを積んで、島伝いに旅をしたいと思ったことがあります。この夢は近い将来、実現したいな~☆ 私は、霊能力とか強いとは思いませんが、島に行くと不思議な感覚におちいる時があります。
☆不思議な体験ナチュラル・ハイ Ⅰ 話☆ 20代のころ、サーフィンがうまくなりたくて、一人で大島に行っていた時期がありました。低気圧が近づく嵐の日、「筆島」という島が海岸線近くに立っている場所でサーフィンをしていたことがあります。その日、筆島でサーフィンをしているのは私だけでした。波は次第に大きくなり、岸に上がることもできない様な状態になり、意を決してサーフボードを捨てやっとの思いで岸に上がれたのですが、精魂つきて何かに導かれるように丘の方へ歩いて行くと、十字架があって嵐なのに、お線香のけむりが上がっていた様に思います。そこでなんともいえぬ郷愁の念をいだいて遠く海のかなたを眺めていたのです。家に戻ってから、「なんであんな日にお線香のけむりが上がっていたのかなー。またあの十字架は何なんだろう・そしてあの郷愁の念はなんだったんだろう」と気になって調べてみると、「おたあ・ジュリア様の碑」であることが解りました。
☆おたあ・ジュリア☆その昔、豊臣秀吉による朝鮮出兵での孤児を哀れに思ったキリシタン大名小西行長は日本に連れて帰り、洗礼名を"おたあ・ジュリア”と名付け大事に育てました。当時より絶世の美女として名高く、養父行長が関ヶ原の戦いに敗れて、石田三成とともに京六条河原で斬首された後、おたあの類稀な美貌と才気を見初めた徳川家康によって駿府城の大奥に召し上げられ、家康付きの侍女として仕え、家康の深い寵愛を大いに受けました。昼に一日の仕事を終えてから夜に祈祷し、聖書を読み、他の侍女や家臣たちをキリスト教信仰に導いたとされています。しかし、キリシタン棄教の要求を拒否した上、家康の側室への正式な抜擢に難色を示したため、慶長17年(1612年)に禁教令により駿府より追放され、まず伊豆大島に、ついで八丈島もしくは新島に、それから最後に神津島に流罪となったのですが、どの地においても熱心に信仰生活を守り、見捨てられた弱者や病人の保護や、自暴自棄になった若い流人への感化など、島民の日常生活に献身的に尽くしたとされています。また、3度も遠島処分にされたのは、そのつど赦免と引換えに家康への恭順を求められつつも断り続けたこと、新島で駿府時代の侍女仲間のルチアとクララと再会して、一種の修道生活に入ったことなどが言及されています。
私が見た十字架は、実は「おたあ・ジュリア様」だったのです。もしかしたら、あの嵐の荒波から救ってくれたのかも知れません。その十字架は、海を背に望郷を思うかのごとくひっそりと存在していました。そして、その場にいるとなぜかやさしい気持ちになれたのでした。

☆不思議な体験ナチュラル・ハイ Ⅰ 話☆ 20代のころ、サーフィンがうまくなりたくて、一人で大島に行っていた時期がありました。低気圧が近づく嵐の日、「筆島」という島が海岸線近くに立っている場所でサーフィンをしていたことがあります。その日、筆島でサーフィンをしているのは私だけでした。波は次第に大きくなり、岸に上がることもできない様な状態になり、意を決してサーフボードを捨てやっとの思いで岸に上がれたのですが、精魂つきて何かに導かれるように丘の方へ歩いて行くと、十字架があって嵐なのに、お線香のけむりが上がっていた様に思います。そこでなんともいえぬ郷愁の念をいだいて遠く海のかなたを眺めていたのです。家に戻ってから、「なんであんな日にお線香のけむりが上がっていたのかなー。またあの十字架は何なんだろう・そしてあの郷愁の念はなんだったんだろう」と気になって調べてみると、「おたあ・ジュリア様の碑」であることが解りました。
☆おたあ・ジュリア☆その昔、豊臣秀吉による朝鮮出兵での孤児を哀れに思ったキリシタン大名小西行長は日本に連れて帰り、洗礼名を"おたあ・ジュリア”と名付け大事に育てました。当時より絶世の美女として名高く、養父行長が関ヶ原の戦いに敗れて、石田三成とともに京六条河原で斬首された後、おたあの類稀な美貌と才気を見初めた徳川家康によって駿府城の大奥に召し上げられ、家康付きの侍女として仕え、家康の深い寵愛を大いに受けました。昼に一日の仕事を終えてから夜に祈祷し、聖書を読み、他の侍女や家臣たちをキリスト教信仰に導いたとされています。しかし、キリシタン棄教の要求を拒否した上、家康の側室への正式な抜擢に難色を示したため、慶長17年(1612年)に禁教令により駿府より追放され、まず伊豆大島に、ついで八丈島もしくは新島に、それから最後に神津島に流罪となったのですが、どの地においても熱心に信仰生活を守り、見捨てられた弱者や病人の保護や、自暴自棄になった若い流人への感化など、島民の日常生活に献身的に尽くしたとされています。また、3度も遠島処分にされたのは、そのつど赦免と引換えに家康への恭順を求められつつも断り続けたこと、新島で駿府時代の侍女仲間のルチアとクララと再会して、一種の修道生活に入ったことなどが言及されています。
私が見た十字架は、実は「おたあ・ジュリア様」だったのです。もしかしたら、あの嵐の荒波から救ってくれたのかも知れません。その十字架は、海を背に望郷を思うかのごとくひっそりと存在していました。そして、その場にいるとなぜかやさしい気持ちになれたのでした。
