10.31
Sun
10.30
Sat
10.29
Fri
品川駅中に舟和のいもようかん販売店があって、調度横須賀線のホームに下りる手前なので、つい買ってしまいます。私の「東京の手土産人にあげたいベスト10」の一品です。値段も手ごろだし、持ち運びか楽なのが良いですね☆ いつも家に買ってかえるのは、いもようかん6本入りなのですが、今日は、あんこ玉入りにしてみました☆
舟和 ⇒ 舟和ホームページ

舟和 ⇒ 舟和ホームページ

10.28
Thu
大手中国企業の知人から・・・先ほど入ってきたメールで「手に入りますか」だそうです。。。最初写真を見たとき、「こんなフィギャーの趣味があるんだ」・・・と勝手に想像してしまいましたが、HPをみてビックリ! 開発中の「日本の平均的な若い女性のロボットなんです。身長158CM 体重43KG それなりの頭脳をもったヒューマノイドロボットが開発されているんだそうです。 エンターテインメント業界や、人体シミュレータとして使用することが期待されている様ですね。それにしても、冗談で「手に入りますか」と言っているのかと思ったら・・・どうやら まじめなお話し、いゃ~・・・私の頭の中はフィギャーです!・・・中国パワーには驚愕です。
動画てチェック ⇒ 乙女ロボット

![photo1[1]](http://blog-imgs-32.fc2.com/h/i/t/hitoe1/201010282357194b2.jpg)
動画てチェック ⇒ 乙女ロボット

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10.27
Wed
パソコンのOS(オペレーター・システム)を再インストールするのでインターネットで調べごとをしていて、ついついオークションを見ていたら・・・結構良いスペックのパソコンがあって・・・結果、競り落としてしまいました☆hp製dc7800です。高速で大容量、スタイリッシュなPC。☆大容量1000GB(1TB)のHDD新品のものを搭載し、Core2Duo E6750です。FSBが1333MHzの高速CPUです。2.66Gのコアが2つ同時に駆動しますので、大変高速です。☆メモリも大容量3GBです。このスペックで、29,800-円で~す☆ 嬉しいな~。女性がQVCとか見て、衝動買いする感覚なのかな~・・・でも実用性もあって、いいじゃ~ないですか☆


10.26
Tue
10.24
Sun
10.22
Fri
10.19
Tue
昨日の出来過ぎた話、偶然、通りかかった方の会話ですが、その題材は必然性に導かれたものでした。「つゆもの、スープ」について書かれた「あなたのために」はとても素晴らしい本であり、多くの方と共有したい内容なので、ログさせていただきました。見えない誰かに言われている様で、なんとも不思議な気持ちですが、著者の辰巳芳子先生は、1924年生まれの86歳、元気に活躍されています。こんな素晴らしい「つゆもの、スープ」をマスターした人・・・超魅力的です☆ その序文を紹介させていただきます。⇒ スープに託す 「つゆもの、スープ」と人のかかわりの真髄は、と問われましたら、あらゆる理論を越えて、「一口吸って、ほっとする」ところ。いみじくも「おつゆ」と呼ばれている深意と答えたいと思います。作るべきようにして作られたつゆものは、一口飲んで、肩がほぐれるようにほっとするものです。滋養欠乏の状態で摂すれば、一瞬にして総身にしみわたるかに感じられるそうです。この呼応作用は、いつの日にか解明されますでしょう。「おつゆ-露」いつ、どなたがこの言葉を使いはじめたか知るよしもありませんが、露が降り、ものみな生き返るさまと重ねてあります。私たちの先祖方の自然観と表現力をたたえ、この美しい言葉を心深く使ってゆきたいと思うのです。・・・つづく、そして、辰巳芳子先生が、この本を書くに至った情熱は、ご尊父の闘病生活において、元気になってほしいと願い作り続けた「つゆもの、スープ」がベースとなっているそうです。万物の創造主から与えられた命を大切にすること、すなわち「食」を尊び、大切にいただくこと。日本人の繊細な料理は、素晴らしいですね☆
先月、1週間の本断食明けの捕食1週間の記録です。食事は朝夕の2回で捕食期間は、2週間です。今は、通常の3食の食事にもどり、おやつも食べてます。。。が、体重や食事のバランスには気をかけるようになりました。ただただ感謝です! ☆
2010年9月15日の朝夕 茶碗に七分目の玄米おもゆから
朝夕、同じ様なパターンなので写真は、朝夕のどちらかのものです

2010年9月16日の朝夕 おもゆに梅干の種のみ
2010年9月17日の朝夕 りんごジュース少々が加わります


2010年9月18日の朝夕 トマト2切れにプルーンジュースがプラス
2010年9月19日の朝夕 やっと通常のごはんに白身魚と豆腐、味噌汁になりました


2010年9月20日の朝夕 キャベツを湯がいたものとかぼちゃがプラス
2010年9月21日の朝夕 きのこと白身のさかなの酒蒸しヘルシーな食事に


先月、1週間の本断食明けの捕食1週間の記録です。食事は朝夕の2回で捕食期間は、2週間です。今は、通常の3食の食事にもどり、おやつも食べてます。。。が、体重や食事のバランスには気をかけるようになりました。ただただ感謝です! ☆
2010年9月15日の朝夕 茶碗に七分目の玄米おもゆから
朝夕、同じ様なパターンなので写真は、朝夕のどちらかのものです

2010年9月16日の朝夕 おもゆに梅干の種のみ
2010年9月17日の朝夕 りんごジュース少々が加わります


2010年9月18日の朝夕 トマト2切れにプルーンジュースがプラス
2010年9月19日の朝夕 やっと通常のごはんに白身魚と豆腐、味噌汁になりました


2010年9月20日の朝夕 キャベツを湯がいたものとかぼちゃがプラス
2010年9月21日の朝夕 きのこと白身のさかなの酒蒸しヘルシーな食事に


10.18
Mon
今日の帰り道、鎌倉に着いてから自転車置き場に向かった時のことです。私は・・・ちょっと近眼なのと夜道なので顔ははっきりと見えませんでしたが、多分夫婦ではなく娘と父の関係だと思うのです。娘さんが先に歩いて行き、後からおぼつかない歩行でとぼとぼとついてくおやじさん・・・このときこんな会話が聞こえてきました。娘「パパ・・・今日は、味噌汁飲んでね。。。」おやじさん「いゃだ~」私の心の中・・・「我がままなおやじだな~」ほんのたわいのない会話だったのですが、お父さんの健康を気づかう娘さんの愛情なのですね。その時、「なんで味噌汁なんだ・・・」と思ったのですが、家にかえって、食事も済んで、歯も磨いて、ジュティーも寝たし、もう11時30分だし寝ようかなと思っていたのですが、最近気にかけている「食」をテーマにした本を何冊か本棚から引っ張りだしてあったのが、机に・・・つん読になっていて、その本に目をやると、鎌倉在住の料理研究家、辰巳芳子さんの「あなたのために・いのちを支えるスープ」という本、それで先ほどの出来事が思い出されたのです。「なんか出来すぎてるな~」と思うのですがノンフィクションで~す☆ 辰巳芳子さんといえば、1年先まで予約が取れないほどの料理教室をもつ料理研究家であり、スープ(つゆもの)に託す思いを伝えるために書かれたレシピ集が「あなたのために」です。その本文に「滋養欠乏の限界状態で摂れば、一瞬にして総身にしみわたるかに感じられるそうです。」とあるのですが、正にその通りだと思います。またまた断食の話になってしまいますが、1週間の本断食がおわり、最初の食事は、玄米重湯です。このスープ状態の重湯を一口飲んで生まれる活力は、素晴らしいものです。たぶん今日であった親子は、この本を読まれた方なのかも知れませんね☆つづきは、また明日にします。おやすみなさい☆



10.17
Sun
10.16
Sat
10.15
Fri
私がヨガを始めたのは、1987年2月25日、今年は24年目を迎えています。ヨガを始めた動機は、2つありました。1つ目は、サーフィンの上達のためです。そして2つ目は、体を柔軟にしたかったのです。とくに右足は、16歳の時、オートバイによる交通事故で間接は思うように曲がらず、その当時手術を担当していただいた医者からは、「過激なスポーツは避けるように」と言われた事もあり、もう柔軟に曲がる様になるとは思っていませんでしたが、できることならその時点より良くなりたいと思っていました。ヨガを始めた時、指示された「ポーズ」対し、心の中では・・・「そんなのできるわけないだろう・・・」と思っていたのですが、毎日続けることで、できないと思った「ポーズ」ができるようになっていくのに、楽しさを感じたのです。とくに精神世界をもとめてヨガの実習をはじめたわけではありませんが、サーファーは朝が早く日の出と共に海に入る楽しさ素晴らしさを体をもって知っています。そんな事から、道場に通っていた当時は、朝一番の6時から始まるクラスで、約1時間の実習を終えてからの会社勤めという生活をしていたんです。そして、パラマハンサ・ヨガナンダ聖師の「あるヨギの自叙伝」をはじめて手にした時は、その内容・・・驚異的な記述に戸惑いを感じたのも事実ですが、その出会いは、一つの共通点を見出していったのです。出会いとは、いま現在、肉体をもって生きている人ではなく、本で出会いそして師とあおぎ、私の中で生き続けている存在です。そのつながりについてもまた解き明かすことができると思います。
写真は、「あるヨギの自叙伝/第46章・断食50年の女ヨギ」のギリバラ聖女です。1936年、ヨガナンダ聖師がベンガル北部にあるギリバラ聖女の自宅をたずねた時に記録されたものだそうです。記録より抜粋⇒「ママ様、あなたのお若いころのお話をお聞かせくださいませんか? それはインドの人々ばかりでなく、海の向こうの同胞たちにとっても、興味深いものだと思いますから」ギリバラは、今までの遠慮がちな態度からようやくくつろいだ様子になって話し始めた。「それではお話いたしましょう」彼女の声は、低いがしっかりしていた「私は、森に囲まれたこの土地で生まれました。子供のころの私は、とりたててお話することもない普通の子供でしたが、ただ、飽くことを知らぬ食欲にとりつかれておりました。9歳になった時、私は婚約させられました。母はよく、私を戒めて言いました。「お前のその食いしん坊だけは、早く直しなさい。いまにお前が、夫の家族といっしょに住むようになったとき、そんなに食べてばかりいたら何を言われるかわかりませんよ。」母の心配はとうとう事実になってしまいました。私がナワーブガンジの夫の家族といっしょに住むようになったのは、まだわずか12歳のときでしたが、夫の母親は、私の大食のことで、朝昼晩と私に恥をかかせました。けれどもこれは、かえって私にとっては幸いだったのです。そのために、私の内に眠っていた霊が目覚まされたのですから・・・。ある朝、姑は私を情け容赦なく風潮しました。「それなら見ていてください。私はもうこんりんざい、死ぬまで食べ物には手も触れませんから」骨身にこたえた私は、こう言いました。姑はあざ笑いながら言いました。「そんなに大食らいのお前が、どうして何も食べずに生きてゆけるんだね」これには返す言葉もありませんでしたが、同時に、鉄のような決意が私の内に湧いてきました。私は人のいない所で、天の父に助けを求めました。「主よどうか私に、食べ物でなく、あなたの光によって生きる方法を教えてくれる師を遣わしください」私は一心に祈りつづけました。突然、私は恍惚状態に包まれました。私を祝福してくれるような不思議な力にひかれて、私は、ガンジス河のナワーブガンジの水浴場に出かけました。途中、夫の家に出入りしているお坊さん出会いました。「お坊さん」私は嘆願するように呼びかけました。「どうか食べずに生きてゆける方法を教えてください」彼は、私の顔をまじまじとみつめていましたが、やがて慰めるように言いました「今晩寺にいらっしゃい。あなたのために、特別にヴェーダのお勤めをしてあげましょう」この漠然とした返事は、私の求めていた答えではありませんでした。朝日が水の中まで射し込んでいました。私は、あたかもこれから霊の導きを受けるかのように、ガンジス河に浸って身を清めました。濡れた着物を身にからませながら、私が河岸を離れて帰ろうとした時、太陽のまばゆい光の中に、突然、私の求めていた師が姿を現わされたのです。「子供よ」師は、私をいとおしむように言われました。「私は、お前の熱心な祈りをかなえるために、神様から遺われたお前の師(グル)だ。神は、おまえの風変わりな願いをお聞きになられた。きょうからお前を、霊の光によって生きられるようにしてやろう。お前の肉体の原子は、無限のエネルギーによって養われるようになるだろう」ギリバラはしばらく沈黙した。そして聖女は再び話を続けた。その声はもの静かで、ほとんど聞き取れないくらいだった。「ガートには人影は見えませんでしたが、そのうにち現れるかもしれない水浴者に邪魔されないように、私の先生は、私たちのまわりをオーラーの光で包んで隔離してくださいました。そして私に、もう粗末なこの世の食べ物にたよらなくてもすむ、あるクリア(ヨガ)の技法を授けてくださったのです。この技法は、ある種のマントラ(強力な振動力をもつ唱え言葉)と、普通の人にはむずかしい一種の呼吸法からなるものです。薬や魔術はいっさい用いておりません。全くクリアだけでございます。私はアメリカの新聞記者たちから自然と学んだやり方で、世の中の人々が興味を持ちそうな問題について、彼女にいろいろと質問してみた。彼女は、ぽつりぽつりと次のように話してくれた。「私は子供をもったことはございません・・・未亡人になったのは、ずっと昔のことでございます・・・睡眠は少ししかとりません。ときたまけがをしたとき、少し痛いと思うこともありますが・・・排泄物は全くありません・・・私は、心臓の鼓動と呼吸を制御することができます・・・私はちょいちょい、自分の師や、他の大師たちのお姿を幻に見ることができます」 「ママ様」私は尋ねた「この世のほかの人にも食べずに生きられる方法を教えてあげたらいかがですか?」世界中の何百万という飢えた人々のためにいだいた私の野心的な希望は、即座に否定されてしまった。「それはできません」彼女は首を振った「私は先生から、この秘密を漏らすことをかたく禁じられております。創造に関する神さまのご計画にむやみに干渉することは、先生のお望みにならないことでございます。もし私が、食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓たちはさぞ私を恨むでしょうし、おいしい果物も、地面におちてむだに腐るばかりです。不幸や、飢えや、病気は、わたしたちに人生の真の意義を探求させるための、カルマのむちではないでしょうか」「ママ様」私はおもむろに言った「では、あなただけが何も食べずに生きてゆけるよう選ばれたのは、何のためでしょうか?」「人間が霊であることを証明するためでございます」彼女の顔は英知で輝いていた「人間は、霊的に向上するにつれて、しだいに、食べ物ではなく、"永遠の光"によって生きられるようになるということを証明するためでございます」・・・聖女は深い瞑想状態にはいった☆ 長々と書き連ねてしまいましたが、「生きること」その何かの導きを感じることができるのではないでしょうか☆

写真は、「あるヨギの自叙伝/第46章・断食50年の女ヨギ」のギリバラ聖女です。1936年、ヨガナンダ聖師がベンガル北部にあるギリバラ聖女の自宅をたずねた時に記録されたものだそうです。記録より抜粋⇒「ママ様、あなたのお若いころのお話をお聞かせくださいませんか? それはインドの人々ばかりでなく、海の向こうの同胞たちにとっても、興味深いものだと思いますから」ギリバラは、今までの遠慮がちな態度からようやくくつろいだ様子になって話し始めた。「それではお話いたしましょう」彼女の声は、低いがしっかりしていた「私は、森に囲まれたこの土地で生まれました。子供のころの私は、とりたててお話することもない普通の子供でしたが、ただ、飽くことを知らぬ食欲にとりつかれておりました。9歳になった時、私は婚約させられました。母はよく、私を戒めて言いました。「お前のその食いしん坊だけは、早く直しなさい。いまにお前が、夫の家族といっしょに住むようになったとき、そんなに食べてばかりいたら何を言われるかわかりませんよ。」母の心配はとうとう事実になってしまいました。私がナワーブガンジの夫の家族といっしょに住むようになったのは、まだわずか12歳のときでしたが、夫の母親は、私の大食のことで、朝昼晩と私に恥をかかせました。けれどもこれは、かえって私にとっては幸いだったのです。そのために、私の内に眠っていた霊が目覚まされたのですから・・・。ある朝、姑は私を情け容赦なく風潮しました。「それなら見ていてください。私はもうこんりんざい、死ぬまで食べ物には手も触れませんから」骨身にこたえた私は、こう言いました。姑はあざ笑いながら言いました。「そんなに大食らいのお前が、どうして何も食べずに生きてゆけるんだね」これには返す言葉もありませんでしたが、同時に、鉄のような決意が私の内に湧いてきました。私は人のいない所で、天の父に助けを求めました。「主よどうか私に、食べ物でなく、あなたの光によって生きる方法を教えてくれる師を遣わしください」私は一心に祈りつづけました。突然、私は恍惚状態に包まれました。私を祝福してくれるような不思議な力にひかれて、私は、ガンジス河のナワーブガンジの水浴場に出かけました。途中、夫の家に出入りしているお坊さん出会いました。「お坊さん」私は嘆願するように呼びかけました。「どうか食べずに生きてゆける方法を教えてください」彼は、私の顔をまじまじとみつめていましたが、やがて慰めるように言いました「今晩寺にいらっしゃい。あなたのために、特別にヴェーダのお勤めをしてあげましょう」この漠然とした返事は、私の求めていた答えではありませんでした。朝日が水の中まで射し込んでいました。私は、あたかもこれから霊の導きを受けるかのように、ガンジス河に浸って身を清めました。濡れた着物を身にからませながら、私が河岸を離れて帰ろうとした時、太陽のまばゆい光の中に、突然、私の求めていた師が姿を現わされたのです。「子供よ」師は、私をいとおしむように言われました。「私は、お前の熱心な祈りをかなえるために、神様から遺われたお前の師(グル)だ。神は、おまえの風変わりな願いをお聞きになられた。きょうからお前を、霊の光によって生きられるようにしてやろう。お前の肉体の原子は、無限のエネルギーによって養われるようになるだろう」ギリバラはしばらく沈黙した。そして聖女は再び話を続けた。その声はもの静かで、ほとんど聞き取れないくらいだった。「ガートには人影は見えませんでしたが、そのうにち現れるかもしれない水浴者に邪魔されないように、私の先生は、私たちのまわりをオーラーの光で包んで隔離してくださいました。そして私に、もう粗末なこの世の食べ物にたよらなくてもすむ、あるクリア(ヨガ)の技法を授けてくださったのです。この技法は、ある種のマントラ(強力な振動力をもつ唱え言葉)と、普通の人にはむずかしい一種の呼吸法からなるものです。薬や魔術はいっさい用いておりません。全くクリアだけでございます。私はアメリカの新聞記者たちから自然と学んだやり方で、世の中の人々が興味を持ちそうな問題について、彼女にいろいろと質問してみた。彼女は、ぽつりぽつりと次のように話してくれた。「私は子供をもったことはございません・・・未亡人になったのは、ずっと昔のことでございます・・・睡眠は少ししかとりません。ときたまけがをしたとき、少し痛いと思うこともありますが・・・排泄物は全くありません・・・私は、心臓の鼓動と呼吸を制御することができます・・・私はちょいちょい、自分の師や、他の大師たちのお姿を幻に見ることができます」 「ママ様」私は尋ねた「この世のほかの人にも食べずに生きられる方法を教えてあげたらいかがですか?」世界中の何百万という飢えた人々のためにいだいた私の野心的な希望は、即座に否定されてしまった。「それはできません」彼女は首を振った「私は先生から、この秘密を漏らすことをかたく禁じられております。創造に関する神さまのご計画にむやみに干渉することは、先生のお望みにならないことでございます。もし私が、食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓たちはさぞ私を恨むでしょうし、おいしい果物も、地面におちてむだに腐るばかりです。不幸や、飢えや、病気は、わたしたちに人生の真の意義を探求させるための、カルマのむちではないでしょうか」「ママ様」私はおもむろに言った「では、あなただけが何も食べずに生きてゆけるよう選ばれたのは、何のためでしょうか?」「人間が霊であることを証明するためでございます」彼女の顔は英知で輝いていた「人間は、霊的に向上するにつれて、しだいに、食べ物ではなく、"永遠の光"によって生きられるようになるということを証明するためでございます」・・・聖女は深い瞑想状態にはいった☆ 長々と書き連ねてしまいましたが、「生きること」その何かの導きを感じることができるのではないでしょうか☆

10.14
Thu
アンドリュー・ワイル博士の著書「医食同源」は、栄養学の基本から健康を保つ食事レシピまで実に詳しく解りやすく書かれた素晴らしい本です。「人は生きるために食べる」という基本となる原則の中で「食べものは太陽に由来するエネルギーを含む燃料であり、はじめは緑の植物が太陽エネルギーをとらえて貯蔵し、そのエネルギーが果物や種子や動物に託されたものである。人間はそれらのものを摂取し、しかるべきしくみによって燃料となる成分を酸素と結合させ、貯蔵されたエネルギーを放出させる。それが燃焼である」と述べ、補足として、有史以来、なにも食べずに生きたという人の逸話が各地に伝えられている事実にも付属書Dの中でふれています。たべるという事は、太陽すなわち光の波動を体内に取り入れることである事は理解できますが、たべもの以外から宇宙エネルギーを体内にとり入れることについて書かれた「付属書D」に興味をひかれてしまうのです☆
付属書Dより記載、 霞をたべて生きる可能性・・・医学校を卒業し、研修をおえた直後に、一冊の素晴らしい本を読んだ。パラマハンサ・ヨガナンダ(1893年~1952年)が書いた「あるヨギの自叙伝」という本で、私はその本によってヨーガやインドの宗教思想に目をひらかされた。エキゾチックな世界の驚異的な記述に満ちたその本のなかでも印象的だったのは、「50年間断食をつづけている」ギリバラという聖女の逸話だった。・・・・・と続くのですが、この「パラマハンサ・ヨガナンダ聖師」は私が続けているヨーガの聖師であり、実際、20年以上前に、ヨガナンダ聖師のお孫さんにあたるミセス・コルナ先生にもお会いし、朝、6時から始まるヨーガのクラスの後、コルナ先生の作った豆のスープを美味しく頂いたこともありました。そして今でも、コルナ先生と一緒に活動されていたM先生に指導いただいております。「あるヨギの自叙伝」は、私が20年以上前に師の精神を受継ぐゴーシュ・ヨガ道場にて、ヨガを学び始めた時からの大切な愛読書でもあります。ヨガナンダ聖師は、人生の大半を海外で活動し、その功績は、アメリカ政府やインド政府から称賛されています。その数々の偉業や出来事を記録された「あるヨギの自叙伝」その意味を深く掘り下げて理解する時がきたのだと感じています☆ つづく ☆

付属書Dより記載、 霞をたべて生きる可能性・・・医学校を卒業し、研修をおえた直後に、一冊の素晴らしい本を読んだ。パラマハンサ・ヨガナンダ(1893年~1952年)が書いた「あるヨギの自叙伝」という本で、私はその本によってヨーガやインドの宗教思想に目をひらかされた。エキゾチックな世界の驚異的な記述に満ちたその本のなかでも印象的だったのは、「50年間断食をつづけている」ギリバラという聖女の逸話だった。・・・・・と続くのですが、この「パラマハンサ・ヨガナンダ聖師」は私が続けているヨーガの聖師であり、実際、20年以上前に、ヨガナンダ聖師のお孫さんにあたるミセス・コルナ先生にもお会いし、朝、6時から始まるヨーガのクラスの後、コルナ先生の作った豆のスープを美味しく頂いたこともありました。そして今でも、コルナ先生と一緒に活動されていたM先生に指導いただいております。「あるヨギの自叙伝」は、私が20年以上前に師の精神を受継ぐゴーシュ・ヨガ道場にて、ヨガを学び始めた時からの大切な愛読書でもあります。ヨガナンダ聖師は、人生の大半を海外で活動し、その功績は、アメリカ政府やインド政府から称賛されています。その数々の偉業や出来事を記録された「あるヨギの自叙伝」その意味を深く掘り下げて理解する時がきたのだと感じています☆ つづく ☆

10.13
Wed
10月は私の誕生月、もう過ぎてしまいましたが、なんとインドの偉大な聖者、マホトマ・ガンジー聖師と同じ10月2日なんです☆非暴力によるインド独立の父として、小さな体からスパーエネルギーを放ち続けた聖者です☆では、そのようなエネルギーはどこから授かっていったのでしょう。ガンジー聖師の幼少期は、やんちゃだったそうで、生まれながらの聖人というわけでわなく、導かれる何かがあったのだと思います。その「何か」とは・・・生きる事について、この秋の夜長に考えてみたくなりました。誕生日を迎える前に断食をできたことは、私にとって大きな喜びでした。このチャンスを与えてくれた、最愛の娘に感謝しています。9月始めから減食をスタートし、本断食、捕食と、まる1ヵ月の断食中の感性は、非常に研ぎ澄まされた状態になります。なぜ断食をするのか。健康な体になることはもちろん、万物の霊長として宇宙と一体になることに少しでも近づくことなんです。「偉そうな事を言っているな~」と思われるかも知れませんが、一応、3度めの断食ですので、その感じた事について伝えられたらと思うのです☆
食事に気を使うこと、すなわち命を大切にする事です。これが解っている様で、解っていないのかも知れません。10年前、2000年9月30日に初版発行された「アンドリュー・ワイル博士の医食同源」また手にとってみたくなりました。はじめに「日本人の読者へ」として冒頭に「かつて日本人の食生活はバランスのとれたもっとも理想的な食事であったはずなのに」と、近年日本でポピュラーになってしまった西洋型の食事に対する警告が書かれています。飽食の時代といわれる現代、人は・・・その「何か」を見失っている様に感じるのです。偉業を成し遂げたマホトマ・ガンジー聖師は、短期または長期の断食を何度も実行しています。そして「食餌と食養生・Diet and Diet Reform/自然療法・Nature Cure/健康への鍵・Key to Health」といった「生きること」の基本となる著書も出版されています。インド独立運動の活動中に断食をする師の姿を、記録テレビで見た事がありますが、それは「万物をコントロールする存在と一体となることでその真理を導き目的を達成する事」だったのです☆ 秋の夜長、アンドリューワイル博士の本から点と点がつながり始め、それが線となり、生きることとは・・・その「何か」が見え隠れしています☆


食事に気を使うこと、すなわち命を大切にする事です。これが解っている様で、解っていないのかも知れません。10年前、2000年9月30日に初版発行された「アンドリュー・ワイル博士の医食同源」また手にとってみたくなりました。はじめに「日本人の読者へ」として冒頭に「かつて日本人の食生活はバランスのとれたもっとも理想的な食事であったはずなのに」と、近年日本でポピュラーになってしまった西洋型の食事に対する警告が書かれています。飽食の時代といわれる現代、人は・・・その「何か」を見失っている様に感じるのです。偉業を成し遂げたマホトマ・ガンジー聖師は、短期または長期の断食を何度も実行しています。そして「食餌と食養生・Diet and Diet Reform/自然療法・Nature Cure/健康への鍵・Key to Health」といった「生きること」の基本となる著書も出版されています。インド独立運動の活動中に断食をする師の姿を、記録テレビで見た事がありますが、それは「万物をコントロールする存在と一体となることでその真理を導き目的を達成する事」だったのです☆ 秋の夜長、アンドリューワイル博士の本から点と点がつながり始め、それが線となり、生きることとは・・・その「何か」が見え隠れしています☆


10.12
Tue
10.11
Mon
10.10
Sun
10.09
Sat
10.08
Fri
10.07
Thu
品川パシィフックホテル、9月末をもって廃業となりました。1年以上前から話は聞いていましたが、駅前の一頭地でなんでだろうな~と・・・チョクチョク利用していた「ハンバーガーのフライデーズ」もクローズしています。この場所は今後何になっていくのでしょうかね~☆一説には、JR東海が、東京ー名古屋間で2027年開業を目指しているリニア中央新幹線の始発駅をJR品川駅とする方針を固めた事で、再開発されるという話もあります。着工は、2014年とか・・・完成が17年後だと・・・私は、どうしているんでしょう。。。いずれにしても、会社の目と鼻の先のだけに、リニア中央新幹線の工事は地下で密かにやってもらって、地上の建物は、早く何らかの利用できるものになってほしいです。




10.06
Wed
10.05
Tue
10.04
Mon
10.03
Sun
10.02
Sat
10.01
Fri
最近の車は、コンピュータ制御でエンジンを調整しているので、エンジン関係をいじることは、ちょっとできませんが、外観の修理とかは、結構簡単にできます・・・といっても、「塗装修理の道」もそれなりに修行が・・・こないだ塗りなおしたミラーなのですが、下地の処理が悪くて、ピンホールができてしまい気になっていまして、もう一度、塗りなおすことにしましまた。塗装は、簡単なのですが、やはり下地の処理が決め手です。昔は、塗装修理屋さんが、車の色に合わせて色を作っていて、その頃はその技術が職人技でしたが、最近は、塗料も良くなって、カーショップに行けば、車、メーカーごとに色がそろっています。けっこうこだわる性格なので、失敗してはやり直しで、最近は、ボディーでも、プロなみに直せる様になりましたが・・・やはり、塗装屋さんには、専門の塗装ブースや焼付塗装設備があるので、小技以外は、塗装屋さんにお願いした方が間違いはないですね☆
① 塗装する際、ボディーやミラーに塗料がつかないようマスキングをします。
② 前の塗装をペーパーでとります。
③ 薄塗りのスプレーパテを塗ります。
④ パテが乾いたら、細かい凹凸を1000番のペーパーで整えます。
⑤ 車のカラ―の塗装をして、仕上げにクリアーをふきつけます。
⑥ 仕上げ用のコンパウンドで磨いて、完成です。














① 塗装する際、ボディーやミラーに塗料がつかないようマスキングをします。
② 前の塗装をペーパーでとります。
③ 薄塗りのスプレーパテを塗ります。
④ パテが乾いたら、細かい凹凸を1000番のペーパーで整えます。
⑤ 車のカラ―の塗装をして、仕上げにクリアーをふきつけます。
⑥ 仕上げ用のコンパウンドで磨いて、完成です。













